2022年1月26日に結婚を発表した新井貴子さんと稲垣啓太さん。
新井貴子さんと稲垣啓太さんの馴れ初めは現在も詳しく明かされていませんが、略奪愛?と言う噂もありました。
さらに、新井貴子さんは過去ミス日本を受賞された経歴もあり、父親も野球界ではかなり凄いお方との情報も。
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新井貴子と稲垣啓太の馴れ初めは?
新井貴子さんと稲垣啓太さんの明確な馴れ初めは公にされていませんが、お互いにスポーツを通じ海外で精力的に活動されてきたことが知り合ったきっかけなのではないかと考えられています。
「ラグビー選手とモデルとフィールドは異なりますが、互いに海外での活動も多く、志や精神面で深く共感し合える部分が多々あり、いつしかお互いを助け合って支え合う存在となりました」引用元:KEITA INAGAKI公式サイト
もちろんそれだけではなく、新井貴子さんの父親はイチローの名付け親でもある野球界の大御所の新井宏昌さん。
夫の稲垣啓太さんと野球はいまいち繋がりのないように感じますが、スポーツ界には何かコミュニティでもあるのか、新井貴子さんの前に交際していた倉持明日香さんの父親も元プロ野球選手の倉持明さん。
このような謎とも言える元カノとの共通点もありました。
あくまでも想像の中での話になりますが、新井貴子さんと稲垣啓太さんの馴れ初めは元プロ野球選手の父親を通じて何かしらのきっかけで知り合い→交際に発展。
多忙な2人を強く結びつけたのは「海外を中心に活動」していたことが背景にあるのではないかと考えられます。
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新井貴子と稲垣啓太は略奪愛だった?
2022年1月26日に結婚を発表した新井貴子さんと稲垣啓太さんは、略奪愛だったのではないかいう憶測も飛び交いました。
それは、稲垣啓太さんの交際歴が関係しています。こちらをご覧ください。
2019年11月 | 元AKB48でタレントの倉持明日香(32)との熱愛が報じられ、結婚間近と報道される。 |
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2020年6月 | 新井貴子と稲垣啓太の同棲生活が報道される。
補足:稲垣を知る芸能関係者は「すでに倉持とは別れ、いまは新井と交際しているそうです。もう一緒に暮らしているようですよ」と証言。 |
2019年11月に結婚間近と報道された稲垣啓太さんと元カノの倉持明日香さん。
しかし、その翌年に新井貴子さんと稲垣啓太さんの同棲熱愛報道が報じられています。破局時期も細かく明言されておらず、交際期間から同棲までの時間が短いことから「新井貴子の略奪愛」と言う憶測もあったようですが真相は不明です。
今のラブラブっぷりを見ると、2人は出会った当時、シンプルに恋はハリケーンだったのかもしれませんし。略奪愛かどうかなんてものは今となれば関係ありませんね。
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新井貴子はミス日本受賞
名前 | 新井貴子(あらいきこ) |
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生年月日 | 1990年12月8日 |
出身 | 大阪府 |
最終学歴 | 大阪体育大学健康・スポーツマネジメント学科卒業 |
受賞歴 | 2012年度ミス日本グランプリ受賞者 同時に歴代のミス日本が選ぶ特別賞「ザ・ブリリアント賞」を受賞 |
モデル活動 | 2014年頃〜 パリ・コレクションをはじめとするショー出演や、ブランド広告、雑誌など世界を舞台に活躍。 |
新井貴子さんは2012年にミス日本を受賞し、同時に歴代のミス日本が選ぶ特別賞「ザ・ブリリアント賞」を受賞。
受賞した当時も美しいですが、もちろん現在も見目麗しいビジュアルをしており、ネット上では新井貴子さんの魅力に賞賛を寄せる声も多く見られています。
新井貴子さんのスタイル最高すぎる 胸も程よくあって品のある均整のとれたプロポーション…素晴らしい てかこんな細身でこれだけ胸あるなら巨乳寄りでしょ 引用元:Twitterの声
新井貴子さんと同じ髪型にしたい 引用元:Twitterの声
新井貴子さんどこに肉ついとんかってくらい腹がぺたんこどんな写真も絵になるくらい素敵だし、、、目の保養すぎる 引用元:Twitterの声
ミス日本を受賞していても、していなくても、新井貴子さんの人気は変わることはなかったのではないでしょうか。
その証拠に、新井貴子さんを悪く言う人が1人もいないのです。これには正直なところ驚きました。新井貴子さんは心の内面もミス日本と言って過言ではないでしょう。本当に素晴らしい女性なのですね。
そんなパーフェクトな新井貴子さんに支えられる夫の稲垣啓太さんは、さぞかし幸せなかたでしょう・・・!
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新井貴子の父親、新井宏昌も凄い
名前 | 新井宏昌(あらいひろまさ) 在日韓国人の三世。当初の本名は朴 鐘律(韓国名:박종률)(パク・ジョンリュル / パクジヨンリユル) |
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生年月日 | 1952年4月26日 |
出身 | 大阪府 |
プロ入り | 1974年 ドラフト2位 |
初出場 | 1975年7月25日 |
最終出場 | 1992年10月13日 |
中学2年の頃、甲子園出場、東京六大学進学の目標を抱きPL学園高校に入学した新井宏昌さんは、野球部で活躍し主将を務めました。
その後、スポーツ推薦枠で法政大学経営学部に進学。この時すでにプロ野球ドラフト会議では近鉄バファローズから9位指名を受けましたが「スカウトマンが挨拶に来た記憶が全くない」とプロ入りを見送りました。
(このあたりで、日本に帰化し日本国籍を取得されているようです。)
もちろん、現役時代は野球界で精力的に活動し、引退後はコーチ・監督・野球解説者など、野球に生涯を捧げていると言っても過言ではない人生を歩みます。
また、新井宏昌さんは1996年に『2連覇』『日本一』『1軍総合コーチ』『2軍監督』などを務め大活躍した年に「佐藤和弘」「鈴木一朗」の登録名を「パンチ」「イチロー」と提案し名付けた人物であると現在でも語り継がれています。
新井貴子さんもかなり凄いですが、父親の新井宏昌もかなり凄いお方でした。今後お孫さんが誕生したら一体どんな大物が育っていくのか非常に興味深いです。
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