川田裕美のお父さんの職業と年収が凄い。生い立ちのまとめ

2019年4月時点でレギュラー番組6本

好きな女子アナランキング4位にランクインしている売れっ子アナウンサーの川田裕美アナウンサー。

本人は、その自覚はなくて『ええ~、本当かなあ~』と言ってしまうような、可愛いところも満載です。

しかし、川田裕美アナウンサーが出来るまでは猛烈に頑張った時期がありました。可愛い娘を支えたお父さんの努力も一緒に見ていきましょう!

ここでは、川田裕美のお父さんの職業と年収が凄い。生い立ちのまとめをご紹介します!

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川田裕美アナウンサーのプロフィール

川田裕美アナウンサー
川田裕美アナウンサー
名前川田裕美(かわたひろみ)
生年月日1983年6月22日
出身地大阪市住之江区
育ち大阪府泉大津市
身長159cm
体重推定40kg
血液型B型
資格スイーツコンシェルジュ
漢字検定2級
愛称かわちゃん
ぶたまん
川田裕美アナウンサーのプロフィール

一見容姿淡麗、笑いなど一切縁のなさそうな川田裕美アナウンサーですが、生まれも育ちも大阪府!

現在の川田裕美アナウンサーの『ノリの良さ』は育った環境からきているのかもしれませんね。

大阪の血が騒いでいるのかもしれないね

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川田裕美アナウンサー生い立ち・学歴一覧

川田裕美アナウンサー,幼少期
川田裕美アナウンサー,幼少期

こちらは、川田裕美アナウンサーが『3歳』の頃の幼少期の画像です。

スカートの裾をちょこんと触り、お嬢様育ちのような・・・育ちの良さが滲み出ていますよね!

この頃の川田裕美アナウンサーは、お父さんが転勤族だったため

  • 2歳『長野県松本市』
  • 4歳〜5歳『北海道』

など、各地を転々として過ごしたそうです。川田裕美アナウンサーの今のアクティブさは幼少期の経験の賜物なのかもしれませんね。

川田裕美アナウンサーは各地を転々としていたため、上記画像の幼稚園も卒園していません。毎回制服を揃える川田家の財力も凄そうです。

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川田裕美アナウンサー|小学生時代

川田裕美アナウンサー,小学生
川田裕美アナウンサー小学生

川田裕美アナウンサー、小学生の頃も可愛いね!子役になれそう。

こちらは、川田裕美アナウンサーが小学校の頃の画像です。

川田裕美アナウンサーは小学校を1996年3月に卒業しましたが、小学生時代も各地を転々としていたため最後に卒業した学校は『泉大津市立条南小学校』でした。

小学校時代もお父さんの仕事の影響で各地を転々とし、合計で3校ほど通われたのだとか。

つまり、各地に川田裕美アナウンサーの同級生と言える人はたくさん残されているようで、Twitterのつぶやきでも気軽に書き込みがあるほど。

https://twitter.com/TK_MT0306/status/824599264546349056

ちなみに、川田裕美アナウンサーの小学校の頃の夢は『ケーキ屋さん』だったそうですが、ご両親からは『薬剤師』になることを強く勧められていたそうです。

川田裕美アナウンサーのご両親はアナウンサーとしてテレビで活躍するなんて夢にも思っていなかっただろうね

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川田裕美アナウンサー|中学校時代

川田裕美アナウンサー,中学校時代
川田裕美アナウンサー,中学校時代(13歳)

川田裕美アナウンサー、中学校時代めちゃくちゃ可愛い!モテそうだね!

川田裕美アナウンサーは中学校時代から容姿に輝きが増し始めます。『将来絶対美人になる』そう思わせるような可愛さです。

この当時、川田裕美アナウンサーが通っていた中学校は『泉大津市立東陽中学校』

1996年4月に入学し、1999年3月に卒業しています。

川田裕美アナウンサーは中学校時代からアナウンサーという職業に憧れを抱いていたそうで、過去のインタビューではこのようなコメントを残されていました。

中学生の頃からアナウンサーに憧れていました。幼い頃は絵本を読む声をカセットテープに吹き込むのが好きで、小学校でも国語の朗読で「よく声が出るね」と褒められるのがうれしかったです。けれど、遠い世界のことで「どうせ私には無理」と諦めていました。”

引用元:YOMIURI ONLINE

『どうせ私には無理』と思っていた川田裕美アナウンサーですが、現在は憧れの職業に就くことができて本当に幸せいっぱいなのでしょう。

ちなみに、川田裕美アナウンサーは中学校3年生の時に初めての彼氏ができましたが初彼氏とは『1回一緒に下校』しただけで破局されたそうです。

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川田裕美アナウンサー|高校時代

川田裕美アナウンサー,高校時代
川田裕美アナウンサー,高校時代

川田裕美アナウンサー、高校時代もめちゃくちゃ可愛い!モテそうだね!

川田裕美アナウンサーが通っていた高校は『大阪府立三国丘高等学校』で1999年4月から2000年3月で卒業しています。

この高校の偏差値は『72〜74』ほどだったのですが、結構な難関校だったようです。

高校受験時の偏差値65以上なら、なかなか頭良いと判断できる

川田裕美アナウンサーは高校時代もかなり勉強ができたようで、容姿も淡麗。これ以上ないぐらいの女の子でしたがそれなりに反抗期もあったそうです。

学校にはかろうじて行っているものの、アルバイトばかりして勉強から逃げていました。アナウンサーという仕事に興味を持って、放送関係の学部がある大学に行きたい、と受験を強く意識したのは、高3の秋のことです。

引用元:朝日新聞

周りのレベルが高かったからか、勉強から逃げてばかりいたという川田裕美アナウンサー。

さらに、高校1年生の頃にできた彼氏という誘惑に負けて『高校1年生の頃はデートのことばかり考えていた』のだとか。

それでも、学校の先生に時折勉強の相談にも乗ってもらっていたんだそうです。高校3年生で『放送関係の学部がある大学に行きたい』志たのは素晴らしいです!

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川田裕美アナウンサー|大学時代

川田裕美アナウンサー,大学時代
川田裕美アナウンサー,大学時代

川田裕美アナウンサーが進学した大学は国立『和歌山大学経済学部経済学科』偏差値は53の大学でした。

高校時代よりも偏差値が下がってしまったのは、高校時代に付き合っていた彼氏とのデートに夢中だったことと、勉強にいま一つ集中ができなかったことが原因として考えられます。

大学進学後は前々から夢であった『アナウンサー』を本気で目指すわけですが、フリーアナウンサーを本気で目指すきっかけにもたくさん恵まれたようです。

  • 近所のおじさんに勧められた
  • アルバイト先(焼き鳥屋)の店主に『アナウンサー向きのいい声をしている』と言われた
  • ゼミの講師に『やりたいことを思いっきりやりなさい』と後押しされた

このように、川田裕美アナウンサーの夢を後押ししてくれる人たちがいたおかげで『どうせ私には無理』と思っていたアナウンサーの道に進むことができました。

大学在学中に『ミス戎橋』に出場したのも、ここで『優勝』しておけば、アナウンサーになる時に有利だと思ったからなのだそうです。

川田裕美アナ|大学3年生

大学2年生までの間に

  • 焼き鳥屋でアルバイト
  • 大学内でインターネットラジオ局に携わる
  • アナウンサー養成所(生田教室)に通う

など、将来アナウンサーになるべく物凄くハードな大学生活を送られていました。

就職活動が始まる大学3年生の時には『東京アナウンスセミナー』に夜行バスで通うほど努力もしていたそうです。

普通の大学生だけではなく、アナウンサーになるための特別な塾やセミナーに通う合計金額をざっと計算すると『297万3200円』もの投資金額になります。

単純に計算しただけなので、実際にはもっとかかっている可能性大

『娘の夢』を応援する、お父さんの愛情の賜物ですね。

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川田裕美|アナウンサー内定獲得

川田裕美アナ,合格
川田裕美アナ,アナウンサー内定合格

懸命な努力の末、川田裕美アナウンサーは大学在学中に見事内定を獲得しました。

友人は就職のために100社ほど履歴書を送付していたそうですが、川田裕美アナウンサーが送ったのは『6社』のみだったそうです。

小学校の頃から先生に『国語の朗読』を褒められていたという川田裕美アナウンサーにとっては、アナウンスの仕事は得意分野としてアピールしやすかったのかもしれません。

熱意が伝わったのかもしれないね

川田裕美アナ,変顔
川田裕美アナ,変顔

各局の入社試験で合格をもらえず、「崖っぷち」で受けた読テレの面接で「私を採ったら損はさせません!」と宣言。一発芸でマツケンサンバの踊りを披露して夢をかなえた。

引用元:サンスポ

川田裕美アナウンサーが受けた試験では無茶振りの質問も。大学生にとって過酷とも捉えられる『狭き門』の中で渾身の一発芸を披露。

その捨て身があってこその合格でしたが、当時の試験官からは『いい度胸してるね』と良い意味でのお褒めのお言葉もいただけたのだそうです。

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川田裕美アナ|お父さんはどんな人?

川田裕美アナウンサーのお父さんは『神戸大学』出身のエリートです。

『神戸大学』偏差値55.0〜70.0

  • 名前:川田芳弘(かわたよしひろ)
  • 生年月日:1954年7月19日

川田裕美アナウンサーが勉強が得意だったのも『お父さん譲り』だったのかもしれません。

ただ、川田裕美アナウンサーとお父さんの仲はあまり良くなかったそうで、社会人になってからいろんなお話ができるほど仲良くなれたのだとか。

とある番組では『実のお父さんの後ろ姿を当てる』というゲームに参加し、見事にお父さんの後ろ姿を当てて温泉旅行を獲得していました。

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お父さんの職業は『保険会社』

川田裕美アナウンサーのお父さんのご職業は『保険会社』です。

保険会社といえば、全国転勤もあり営業などなかなかハードなイメージがありますが、幼少期から転々としているところを見ると総務スタッフのような気もします。

保険会社のエリートコースの社員の方々は2〜3年に1回全国転勤があります。

転勤が非常に多い理由としては、金融会社であるため『不正防止のため』『社員に経験を積ませるため』『馴れ合いを防ぐため』などさまざまな理由が挙げられます。

会社によると思いますが、遠方への転勤になった場合『月に1回地元や家族の元に帰るための経費も会社が負担してくれる』のだそうです。

川田裕美アナウンサーが中学校ごろから落ち着いていたのは、お父さんが単身赴任をしてくれていたのでしょうね。

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保険会社の年収が凄い

生命保険会社の仕事は一般の仕事よりも高収入で凄いです。

年収例
20代 300万円~900万円
30代 1000万円~1200万円
40代 1200万円~1400万円
50代 1300万円~1500万円
60代 900万円~1500万円

ハードながらも若い間からかなりの高収入をいただけることが『保険会社の魅力』でもあります。

川田裕美アナウンサーのお父さんも、かなり稼がれていたのではないでしょうか?

保険会社のデメリットも

先ほどもご説明した通り、総合職(総務)などであったとしても保険会社はかなりハードなお仕事です。

販売するにしても、内部で育成に携わるにしても、諸々の面で鋼のメンタルを手に入れることができるほど『本当にハード』です。

興味本位で短期間・・・ならば楽しいお仕事かもしれませんが、定年まで続けるのは骨の折れる苦行が数々と待ち受けています。

知人の話で恐縮ですが、最近になり定年を迎えた友人の父は、このように話していました。

(保険会社勤務は)血のにじむ思いだった。

引用元:友人の父『某保険会社を定年』

まとめ

『どうせ私には無理』と諦めていたものの、見事念願のアナウンサーへの切符を手に入れた川田裕美アナウンサー。

保険会社でハードに鍛えられていたお父さんの人間力を側で見てこられたことが、今の川田裕美アナウンサーを作り上げているのかもしれません。

川田裕美アナウンサーの生い立ちを拝見しても、何にも負けない不屈の精神を感じます。

激戦区の女子アナウンサーの中で大活躍しているもんね。

これからも川田裕美アナウンサーの活躍を応援しています!

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