【実話】朝ドラ竹井千代のモデルは浪花千栄子!極貧な幼少期のヤバすぎるエピソード

NHK連続テレビドラマ小説「おちょやん」

ドラマ内で登場する主人公の竹井千代さんのモデルは実在の人物「浪花千栄子(なにわちえこ)」さんです。

ここでは、浪花千栄子さんの極貧な幼少期のヤバすぎるエピソードを深掘りしてお伝えしたいと思います。

竹井千代のモデル浪花千栄子のプロフィール

出典:朝日新聞

名前 浪花千栄子(なにわちえこ)
本名 南口キクノ(なんこう きくの)
出身 大阪府富田林市東板持町
生年月日 1907年11月19日
没年月日 1973年12月22日
職業 女優

浪花千栄子さんは、大阪府富田林市東板持町出身

育った場所がどのあたりかというと、こちらをご覧下さい!

航空写真で確認すると、浪花千栄子さんの生まれ育った場所は山の近く。

大阪府の中でも少し田舎であることが分かります。

受賞歴が凄い

浪花千栄子さんの生涯の仕事は「女優」でした。

浪花千栄子さんが凄いのはその受賞歴です。

  • ブルーリボン賞助演女優賞(昭和28年)
  • 毎日映画コンクール女優助演賞(昭和29年)
  • 大阪府なにわ賞(昭和33年)
  • NHK放送文化賞・第1回(昭和38年)

など、昭和で活躍した女優の中でも名誉ある賞を数々と受賞しています。

浪花千栄子さんが朝ドラのエピソードに起用されるまで、一体どんな人生を送られたのか気になりますよね。

それでは、次からは浪花千栄子さんの極貧な幼少期エピソードをご紹介していきます。

浪花千栄子の極貧な幼少期エピソード

ここからは、浪花千栄子さんの極貧な幼少期のヤバすぎるエピソードをご紹介していきます。

出生から順番にご紹介していきますが、一部ネタバレの可能性も含みます。

幼少期の背景

浪花千栄子さんは、大阪府富田林市東板持町で生まれました。

浪花千栄子さんの実家は養鶏場を営んでおり、村で一番貧乏な家族でした。

出典:伊勢屋金網工業株式会社

なぜ浪花千栄子さんが貧乏になってしまったかは両親の親戚が影響しています。

浪花千栄子さんの父方の家系は代々武士の家系で、祖父は庄屋を営んでいました

浪花千栄子さんのご両親は双方の両親、親戚の反対を押し切り結婚。

そのため、両家の恩恵を受けることがなく貧しい生活を強いられることになります。

出典:Twitter

3歳年下の弟がいたという浪花千栄子さん。

不運なことにも、浪花千栄子さんの母(南口キク)は弟を産んだときに他界。

4歳で極貧生活、親戚もなく、母親も亡くした浪花千栄子さんは幼少期から過酷な人生を強いられることになります。

幼少期の生活

親戚もなく、母親もいなかった浪花千栄子さん。

父親一人で養鶏場を切り盛りしていたので、浪花千栄子さんが弟の面倒を殆ど見ていました

そして、行商の時期になると父親は外へ出てしまうので、子供だけでお留守番する日も。

そういう環境があり、次第に浪花千栄子さんの家は近所の子供たちの遊び場になりました。


出典:NOTE

しかし、ろくにお風呂にも入っていなかった浪花千栄子さん。

いつも不潔な状態が続き、浪花千栄子さんの頭にシラミがわくようになります。

それを知った近所の大人達は浪花千栄子さんを嫌煙。

自分の子供達に「浪花千栄子の家に遊びに行くな」と交流を禁じます。

それを知った浪花千栄子さんは、激しい劣等感に襲われ、大人の目の届かない竹藪で弟と二人で遊ぶようになります。

小学校時代

浪花千栄子さんは小学校に入る年齢になっても、弟の面倒を見るために小学校へ入れて貰えませんでした。

小学校に通う事が出来なかった浪花千栄子さん。

8歳の時に父親が再婚をします。

新しい母親ができた事により、弟の面倒から解放された浪花千栄子さんは小学校へ通える事になりました。

出典:MY介護

しかし、浪花千栄子さんの父親の再婚相手は家事を全くやらない人でした。

昼まで寝ていて、起きてからは三味線で歌を歌って過ごす。

弟の面倒は見てくれたものの、両親は学費をまともに支払うことはありません。

浪花千栄子さんは先生の学費の取り立てが怖く、わずか二ヶ月で小学校へ通うことをやめてしまいます。

出典:その26

浪花千栄子さんの義理母はこの頃に何度も家出を繰り返していました。

度重なる家出の中で、父の再婚相手は連れ子を連れて戻ってきます。

その時「弟はいいけど、浪花千栄子と暮らすのは嫌だ」と言ったことをきかっけに、浪花千栄子さんは家を出される事になりました。

出典:分校

浪花千栄子さんが預けられた先は、母方の祖母の家。

浪花千栄子さんは祖母に嫌われないように一生懸命働きました

その後、浪花千栄子さんの弟までも祖母の家に預けられます。

子供二人の面倒を見ることになってしまった祖母は、浪花千栄子さんを女中奉公へ出すことしました。

おちょやん

浪花千栄子さんは8歳の時に大阪道頓堀の仕出し料理や「浪花料理」で働きはじめました。

そこの主人のパワハラは凄まじいもので、

  • ミスをすると包丁の背で頭を叩く
  • 米を洗う時に米一粒流してしまうとドブに流れたお米を食べさせられる

現代では考えられない程の厳しいものでした。

この頃、浪花千栄子さんは、忙しい中でも文字を覚える為に新聞紙で勉強を始めました。

その姿も見つかれば殴られてしまうので、トイレの中でこっそりと勉強に励みます。

こんな過酷は環境の中、浪花千栄子さんは8年間も「浪花料理」で勤めることになりました。

浪花千栄子さんはこの頃を振り返って「子供心にも惨めな思いをした」と語っています。

父親との再会

出典:Twitter

浪花千栄子さんが「浪花料理」で働いて8年目のある日。

「浪花料理」で働いていることを知らない筈の父親が突然目の前に現れます。

浪花千栄子さんの父親は「事業を興すから15円が欲しい」と言いました。

しかし、浪花千栄子さんは衣食住以上の世話を見て貰っていなかったため、1円も手元にありません。

出典:BigBlog商会

それを知った浪花千栄子さんの父は主人に激怒。

警察に訴える」とまで怒りを露わにしました。

すると、そのトラブルの間に入る人物が現れます。

浪花千栄子さんは「浪花料理」の退職金として15円を渡され、そのままお店を退職することになりました。

転々と奉公に出される浪花千栄子

「浪花料理」を退職した浪花千栄子さん。

父は、浪花千栄子さんを次の奉公先へ送り出しました。

浪花千栄子さんが次に送られたのは「富田林の造り酒屋」でした。

そこでも、父の為に給料の前借りをした浪花千栄子さん。

それが悪影響となり、浪花千栄子さんはそこの酒屋を解雇されてしまいます。

出典:Pinterest

浪花千栄子さんが次に送り出されたのは「木材屋」でした。

前回の失敗で学習した父は「木材屋」に「2年間の給料前払い」という契約で浪花千栄子さんを預けます。

「木材屋」の人達にはとても親切にしてもらった浪花千栄子さん。

しかし、働けども働けども、一向に給料を貰えないことに疑問を感じていました。

出典:木材屋

浪花千栄子さんが「木材屋」で働きはじめて、2年1ヶ月経ったとき、女将さんから衝撃の一言を伝えられます。

「お父さんが給料を取りに来ない。」

「今後年払いにするのか月払いにするのか分からないけど、1ヶ月働いてくれたから、1ヶ月分の給料を渡しておきますね」

そこで初めて、浪花千栄子さんは1ヶ月分の給料「12円」を手にしました。

それまで父親に給料を搾取されていた事を知らなかった浪花千栄子さんは、父親の食い物にされることを恐れ「木材屋」を後にします。

浪花千栄子の女優までの道のり

出典:Twitter

父親から逃れるために「木材屋」を後にした浪花千栄子さん。

この時浪花千栄子さんは18歳。

自らの意思で向かった先は「憧れの京都」でした。

身よりもなく、頼る人もいなかった浪花千栄子さんは京都の職業案内所で仕事を探します。

しかし、探した当時は女中としての仕事はなく、働く先がありませんでした。

出典:NHK

寝るところも頼る人もいなかった浪花千栄子さんは、職業案内所で紹介された「カフェーオリエンタル」で働くことを決意。

※カフェは現代でいうキャバクラのような施設です。

そこでも女中は足りており、女給(ホステス)としてなら働くことができました。

白粉を塗って人前に出ることに強い抵抗があった浪花千栄子さん。

できるだけホールに出ないように洗い場で勤務時間を過ごします

「ユリちゃん」との出会い

洗い場で時間を潰していた浪花千栄子さん。

そこで、浪花千栄子さんの運命を変えた友人「ユリちゃん」との出会いが訪れます。

出典:昭和の女性のファッション

「カフェーオリエンタル」で女給として働いていた同僚のユリちゃん。

ユリちゃんは浪花千栄子さんに「ホールへ出て、稼いだお金で生活をするの」と教えてくれました。

その後も、ユリちゃんは浪花千栄子さんの面倒を色々と見てくれることになります。

ユリちゃんの支えもあり、徐々に女給(ホステス)として活躍をしていく浪花千栄子さん。

その中で、ユリちゃんは「私女優になる」と言って「カフェ」の退職を決意。

頼るところもなかった浪花千栄子さんは、唯一の話せる友人ユリちゃんについていき、無名の芸能事務所へ入ることになりました。

看板女優になるまで

ユリちゃんと一緒に無名の事務所に入所した浪花千栄子さん。

せっかく入所した事務所でしたが、無名の事務所は映画を一本も撮ることがなく倒産してしまいます。

事務所の社長はいい人だったので、所属していたメンバーのその後の仕事の面倒を見てくれました。

出典:NOTE

浪花千栄子さんは女優ではなく、屋敷奉公で働くことを希望しました。

しかし、事務所の社長は「立派な女優になってほしい」という願いがあったため、浪花千栄子さんは田村栄子一座に入団することになります。

出典:昭和の女性のファッション

第二京極の三友劇場を根城にしていた田村栄子一座。

浪花千栄子さんは、劇団に入団したあとも女中として働いていました。

そして、物覚えがいいことをきっかけに、浪花千栄子さんは田村栄子さんに気に入られ弟子にとられます。

出典:Twitter

セリフをよく忘れてしまう田村栄子さんに変わり、セリフをよく覚えた浪花千栄子さん。

舞台裏から浪花千栄子さんは、田村栄子さんに度々セリフをこっそり教えていました

浪花千栄子さんが初めて舞台に上がったのは、田村栄子さんが急病で倒れたときのこと。

その日公演する予定だった「正ちゃんの冒険」に急遽抜擢されることになります。

出典:映画ナタリー

急遽抜擢された舞台で、浪花千栄子さんは覚えていたはずのセリフをまるっと忘れてしまいます

この時、浪花千栄子さんは咄嗟に舞台の上を駆け回ったり、よじ登ったり、アクションでセリフを忘れた事をごまかしました。

結果、これが大当たり。

この出来事をきっかけに、浪花千栄子さんは一気に看板女優まで上り詰めることになります。

その一方で、師匠の田村栄子さんは浪花千栄子さんに癇癪を起すようになります。

このことがきっかけで、浪花千栄子さんの体には終始生傷が絶えませんでした

その姿を見かねた三友劇場の主人が、浪花千栄子さんに次ぎの劇場「東亜キネマ」を紹介しました。

浪花千栄子の結婚生活

出典:Twitter

「東亜キネマ」へ移った浪花千栄子さん。

ここで初めて映画女優になりました。

しかし、この場所では長くは続かず、芝居茶屋「岡嶋」で女中として働きながら「松竹の舞台女優」として活動を始めます。

この頃、「岡嶋」で居候中の2代目渋谷天外が立ち上げた「松竹家庭劇」

「喜劇」がメインの舞台で、女優が少なかったため浪花千栄子さんがここに助っ人として配属されることになります。

出典:gooブログ

そして、ほどなくし、朝鮮戦争が勃発。

これをきっかけに、浪花千栄子さんは2代目渋谷天外さんと結婚をしました。

浪花千栄子さんの夫になった2代目渋谷天外さんは「松竹家庭劇」で脚本・俳優で活躍。

夫婦になったことにより「脚本家の妻にいい役を与えるわけにはいかない」と浪花千栄子さんにいい役が回ってくることはありませんでした。

このころの浪花千栄子さんは誰しもが嫌がるような役ばかり。

「松竹家庭劇」での浪花千栄子さんは、女優の芽が出ることはありませんでした。

浪花千栄子が人気女優になるまで

朝鮮戦争後、2代目渋谷天外さんは「松竹家庭劇」の座長、曾我廼家十吾と喧嘩別れをしました。

妻である浪花千栄子さんを連れて「劇団すいーと・ほーむ」を立ち上げて旅巡業へ。

その間に座長、曾我廼家十吾が他界。

これをきっかけに「曾我廼家五郎劇」と「松竹家庭劇」を合併させ「松竹新喜劇」が誕生することになります。

出典:Wikipedia

松竹新喜劇」の旗揚げに再び呼び戻された浪花千栄子さん夫婦。

「松竹新喜劇」の座長は曾我廼家五郎さんでしたが、徐々に2代目渋谷天外さんに実権が移っていきます。

こうして、浪花千栄子さんにもいい役が回ってくるようになり「松竹新喜劇」の看板女優として人気が出始めました。

夫の不倫

「松竹新喜劇」の看板女優として人気が出始めた浪花千栄子さん。

この時に夫の渋谷天外さんは、浪花千栄子さんの弟子九重京子さんと不倫をしていました。

浪花千栄子さんはその二人の関係に怒りを露わにしましたが、九重京子さんが出産をすると夫と別れることを選びます。

さらに、浪花千栄子さんは看板女優と活躍していた「松竹新喜劇」もあとにしました。

出典:Twitter

浪花千栄子さんと別れたあと、渋谷天外さんは九重京子さんと再婚。

再婚後4か月目に九重京子さんのために家を購入します。

これを知った浪花千栄子さんはさらに激怒。

「私は尽くしても尽くしても家も買ってもらえなかったのに…」

と、渋谷天外さんを生涯にわたり恨み続けることになります。

行く当てがなくなった浪花千栄子

出典:FC2

昭和27年2月に吉本興業で活躍していた芸人、花菱アチャコさんがNHKラジオドラマ「アチャコ青春手帳」を始めました。

しかし、相方で母親役として活動していた月宮乙女が2回で降板してしまいます。

そこで芸人、花菱アチャコさんは、かつて「松竹新喜劇」で活躍していた浪花千栄子さんを代役に指名。

NHKのディレクター、富久進次郎さんは浪花千栄子さんを捜索します。

京都での目撃情報を頼りに浪花千栄子さんを探したディレクターでしたが、なかなか見つけることはできません。


出典:ピンタレスト

諦めそうになりながらも立ち寄った飲み屋で「浪花千栄子さんが銭湯に入っていくのを見た」との有力情報を得ることができました。

こうして、富久進次郎さんは浪花千栄子さんを見つけることができましたが、現役の頃とは全く違う姿でした。

浪花千栄子さんは長屋の二階で落ちぶれており、着る服もなければ大阪へ行く電車賃もない。

そんなひどい有様だったといいます。

奇跡の大抜擢

浪花千栄子さんは、富久進次郎さんから大阪の電車賃を受け取り、大阪へたどり着きます。

無事に「アチャコ青春手帳」に出演をすると、浪花千栄子さんのやわらかい大阪弁が大人気に。

この出演をきっかけに浪花千栄子さんのもとへ映画の出演依頼も舞い込みます。

こうして、浪花千栄子さんは大阪を中心に映画・舞台・ドラマに大活躍

オロナイン軟膏のポスターにまでなり、大阪を代表する女優へと成長を遂げました。

浪花千栄子の晩年

出典:映画ナタリー

前の夫、渋谷天外さんが家を買ったことを強く根に持っていた浪花千栄子さん。

小さくてもいいから、自分の家を買おうと土地を探し始めます。

そこで、天竜寺の管長、関牧扇と出会い、彼の勧めで土地を購入

浪花千栄子さんの始めての旅館「竹生」を建設しました。

この旅館「竹生」の石には、2代目渋谷天外の名前を刻み、日々その石を踏み続けたそうです。

浪花千栄子さんはこの旅館だけにとどまらず、

  • レストラン「浪花」
  • 茶屋「局茶屋」
  • 蕎麦屋「切そば」

など数多くの事業を展開。

女優として活躍するだけではなく、実業家としても大きく活躍しました。

そして、宗教団体「弁天宗」を信仰し、婦人部長まで勤め上げます。

出典:昭和の女性のファッション

浪花千栄子さんは亡くなる前から、養子の南口輝美さんに「自分が亡くなったときは力いっぱい叩くように」言いつけていました。

その思いは「叩けば血色がよくなる。役者として、死んでも汚い顔は見せたくない」という想いからでした。

浪花千栄子さんは、昭和48年12月22日に自宅で消化官出血のため66歳で永遠の眠りにつきます。

浪花千栄子さんの死後、勲四等瑞宝賞が贈られました。

勲四等瑞宝賞とは?

日本の名誉ある賞の一つ

養子の南口輝美さんは浪花千栄子さんの言いつけを守り、泣きながら浪花千栄子さんの顔を叩いたそうです。

通夜に駆け付けた人は、浪花千栄子さんの死に顔を見て「まるで生きているようだった」とのちに語られています。