平野紫耀は母子家庭で貧乏だった!?脳腫瘍の母との感動エピソード

今日は平野紫耀さんの母子家庭説を徹底調査!

平野紫耀さんって思っていたよりも人に優しくて家族想いだったんですね。

お母さんとのエピソードには、笑いあり、涙あり、でした。

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平野紫耀は母子家庭だった!

兄弟に、3歳年下の弟がいる平野紫耀さん。

 

その、平野紫耀さんが生まれたのは1997年1月29日

出産当時のお母さんの年齢は当時19歳だったと言われています。

(お母さんは元々ヤンキーだったらしい)

 

※出産当時の年齢には諸説あり

平野紫耀さんは2018年9月4日放送の「踊る!!さんま御殿」にて、母の年齢を聞かれた時に40歳と答えています。

引用:https://hotword-coolword.com/tv/idol/hiranoshou-mother/

2013年の関西ジャニーズJr.のバラエティ番組に出演した際には、母親の年齢が33歳であると言っていた。

引用:https://hotword-coolword.com/tv/idol/hiranoshou-mother/

 

 

平野紫耀さん曰く”父親は物心ついた時からいなかった”と話しています。

子供の物心がつく年齢は、3歳から4歳の間と言われているので、平野紫耀さんの弟が生まれたぐらいで両親はご離婚をされたのだと想定されます。

 

つまり、お母さんは22歳から23歳の間でシングルマザーになられたと考えられますね!

めちゃくちゃ若いお母さんで羨ましいです。

 

勝手な妄想ですが、きっとクラスメイトにも「平野の母ちゃん美人」説が囁かれてた事でしょう。

 

今では、無事に成人し、天然キャラとしてジャニーズで活躍されている平野紫耀さん。

ここからは秘められた感動エピソードも一緒に確認していきましょう。

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苦労貧乏って本当か?

平野紫耀さんのお母さんは23歳頃にシングルマザーになられています。

 

その当時(2000年頃)の母子家庭の平均年収は213万円。

 

普通に生活していくのにも、毎月17万円ほどの収入ではかなり厳しいですよね。

その生活を支えるべく、平野紫耀さんのお母さんは夜のお仕事で生活を支えていたそうです。

 

20歳ぐらいの女の子なのに、凄い!としか言えない

 

対する、平野紫耀さんも中学校時代には体が弱いお母さんの為に自分でご飯を作られていたのだとか。

お母さんは仕事を頑張って、平野紫耀さんは家の事を手伝って・・・親子の愛って素晴らしいですね。

 

母の病気は脳腫瘍?

お子さん2人を育てる為に一生懸命働き続けてきたお母さん。

平野紫耀さんが小さい時に”働き過ぎ”で体を壊された事があるのだそうです。

 

このエピソードは、平野紫耀さんが過去に出演していたドキュメント番組「RIDE ON TIME」で語られていました。

 

また、2016年12月の舞台、ジャニーズアイランドに出演された際の台詞で、「俺が東京に出るとき、母親の頭に悪性の腫瘍が見つかった」と話している事からお母さんの病気は脳腫瘍だった事が判明しています。

この病気については後日新聞の取材で事実と断定されていました。

 

因みに、平野紫耀さんが東京に出てきたのは高校1年生ジャニーズ入所の時。

 

その中で、お母さんの脳腫瘍が発見されたとなると、とても心が苦しかったのではないでしょうか。

 

この過去の経験から、平野紫耀さんはコンサートなどで観客やファンの方々に「死ぬなよ~」と語りかけるそうです。

 

平野紫耀はコンでファンに死ぬなよ!って言うの弄られてたけど別の番組で 近しい人たちの不幸が続いたから本当に死んでほしくなくて言ってるんだって言っててその芯の強さと明るさがファンは好きなのかなって思った

引用:https://matome.naver.jp/odai/2154173407935854101

 

平野紫耀さんからすれば、この「死ぬなよ~」は「また生きて会おう」という意味なのだそうです。

これは、お母さんの突然の病気や友人との永遠の別れを経験したからこその言葉なんだと、胸に重く響きます。

 

そして、現在もお母さんは元気に過ごされているようで、更に昨年は再婚の話も。

平野紫耀さんの想いがしっかりお母さんに届いていますね!

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感動!?貧乏!?エピソード

得意料理は回鍋肉!?

小さい頃に両親が離婚をし、お母さんに育てられてきた平野紫耀さん。

お母さんに代わって家事をするのも平野紫耀さんの仕事の一つ。

中でも料理で注目を浴びたのは、”市販の合わせ調味料なしで作る回鍋肉

主婦顔負けの、旨みを出して味を調える姿はまさにコックさん。

一度でいいから食べてみたいです。

 

クリスマスプレゼントは・・・?

お母さんの影響からか、昔からおしゃまさんだった平野紫耀さん。

小学校6年生の時にサンタクロースに「ネックレスが欲しい」とお願いした平野紫耀さんの元に届いたのは、図書カード

 

更に、中学校に上がって再びサンタクロースに「アクセサリー」をお願いした平野紫耀さんの元に届いたのは・・・

うまい棒50本!!

 

※指にはめれるように成長しているところを見ると、もうそろそろ本当のアクセサリーが届きそうな予感がします。

 

それって食べれるの・・・?

お母さんは、平野紫耀さんが3歳の頃から女で一つで育ててきました。

かなりの激務だった事は想定されます。

 

その、平野紫耀さんの保育園時代の出来事。

平野紫耀さんの近くに1円玉があったようで、平野紫耀さんはぱくり。

 

気がついたお母さんが病院へ連れて行ったところ、1円玉が5枚もお腹から出てきたのだそうです。

お札だったら溶けて消えてましたね!笑

 

学校のお弁当には・・・

しなしなの唐揚げ」と「べちゃべちゃのご飯」が入っていたという平野紫耀さん。

冷凍食品で、凍ったまま入れれる子をINしたのか。

ご飯が冷めないまま蓋をしたのか。

濡れた容器にそのまま入れたのか。

それだけ、忙しい中、しっかりお弁当を持たせてくれるお母さんにぐっときますね。

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平野紫耀は母子家庭で苦労貧乏だった!?脳腫瘍の母との感動エピソードまとめ

幼少期からやんちゃで、骨折の経験は9回。

お母さんには掃除機で殴られる事もあり、中学校時代は紫色の姿でぶいぶいさせていた平野紫耀さん。

しかし、この時から平野紫耀さんの天然は存在していたようで、中学校3年生の時には「銀髪になりたくてブリーチを7回」されたそうなんです。

銀髪になるには、ブリーチは2回、アッシュカラーを1回

参照:https://mokect.com/ginpatsu-silver/

今でも、髪色が明るい色なことが多いのは、昔から好きな色だったという事になりますね!

人に歴史ありって本当だな、と感じさせられました。

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